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投稿者: Rabbi Binyomin Edery

ニシム誕生

ニシム誕生

2011年3月11日に津波が起きた時、日本の人々は恐れおののきました。福島の原子発電所からの放射線汚染の脅威があり、人々は外出したがりませんでした。パニック買いが発生し、店の棚からは生活必需品が姿を消しました。

各国大使館は、自国民に対して帰国を促すメールを送ったため、成田空港には人がつめかけ、ロビーで寝泊まりして次の便を待つ人たちの姿も見られました。空気には、パニックと恐怖が満ち溢れていました。

ですが、ここに一人の恐れを知らない男性がいました。そして彼の頭の中には、「これほど大変な被害を受けた人々を、どうやって助けたらいいのだろう」ということしかなかったのです。

3月12日の土曜日の夜、ラビ・エドリーはハバッド・ジャパンの数人のボランティアを伴って、東北の人々のための救援物資で満載になったトラックで出発しました。放射線が怖くないのか、自分の命が大切ではないのか、奥さんや子供もいるのに、と訊いた人もいましたが、「自分の子供や兄弟姉妹が危険な目に合っていて、助けが必要なら、すぐに助けに行きませんか?」というのが彼の答えでした。「私が行っているのはそういうことです。ためらいは少しもありません」。

当時、ラビ・エドリーとエフラット夫妻には、もう一人子供が生まれるところでした。人々はラビに、妊婦や子供には危険があると伝えましたが、ラビは、実際は恐れられているほどではないはずだ、時間が経てば分かるだろうとはっきりと答えました。命を失おうとしている人々がいる時、最も大切なのは命を救うことであり、神様が助けてくれるだろうとも言いました。

津波から5か月後の2011年8月28日に、ラビ・エドリー夫妻の間にたまのような、元気な男の赤ちゃんが生まれました。この子はニシム・アリエルと名付けられましたが、ニシムとは、奇跡を意味します。またに、津波の間中の神に対する感謝や、今後の祈りに対して神様が応えられた証なのです。日本にも、奇跡や素晴らしい出来事が起きるはずです。アリエルは困難を克服することの象徴である神のライオンを意味します。

誕生するとすぐに、ラビには、津波以降も変わらぬ無私無欲の支援に感謝した東北の人たちが一人一人、お祝いや祈りの言葉を寄せ書きにしてくれ、額に仕立ててプレゼントしてくれました。これは、素晴らしい出産祝となりました。

破壊

破壊

津波は信じられないくらいの破壊をもたらしました。

多くの人たちの命が失われました。これは想像できないくらい悲しいことです。最初、ラビ・エデリーは、完全なる破壊と言えるようながれきからご遺体を探していた自衛隊を助けました。たくさんの人が、避難所などの掲示板に行方不明の愛する人たちの写真を貼り、「誰かこの人を見かけませんでしたか。」と聞いていました。亡くなった人たちをできるだけ早くきちんと埋葬することは、最期に際しての敬意としてこれ以上ないくらい大切なことです。

家も、ビルも、工場も、車も、みんなおしつぶされ、押し流されてしまいました。家があった場所に戻り、たぶん先だった人たちの写真やいろいろな大切なものを拾い集める人たちを目にしたものです。けれどほとんどのものは津波に持っていかれてしまいました。

最初の1週間、家を破壊された人たちは避難所にとどまりました。問題は、このように多くの人たちに対して、十分な数のシャワーやトイレがなかったことです。ラビ・エデリーとスタッフたちは人々を近くの温泉へ連れて行きました。こうして被災者の方たちはシャワーを浴びることができ、人間らしい気持ちを取り戻すことができました。ラビたちは、みなに順番がまわってくるよう、毎日何往復も温泉へ人々を運びました。

仙台空港は完全に破壊され、飛行機は飛んでいませんでした。

東北への道はほとんどこわれて、安全ではありませんでした。人々は、生活に必要な基本的なものを手に入れられませんでした。トラックが商品を東北まで運べなかったからです。お店は商品がなくからっぽでした。タンクローリーが北へ向かえなかったため、ガソリンも不足していました。政府は、援助隊にガソリンが優先的にまわるようにしました。ラビ・エデリーとスタッフたち、自衛隊は高速道路を使う特別な許可を得ました。

興味深いことに、木々は生きていました。何本かの木は頭まで津波につかり、しかし折れませんでした。根が深く、強く張っていたからです。

何人かの人は、木のてっぺんにつかまり、津波から奇跡的に生還しました。

人は木に似ています。木は強い根があることで、強い風や水害や、台風や津波に耐えられます。同様に、人には創造主の息吹が込められていて、それによって心を強くたもち、破壊やトラウマから立ち直れます。

東北の津波はしかしまた、個人を、そしてコミュニティを再建にむけた、希望、強さ、へこたれなさを奮い立たせました。この震災の破壊から、いろいろなレベルで多くの成長や発展が生まれました。多くのつながりや友情が結果として生まれました。ラビ・エデリーには、彼を愛し、ありがとうと言ってくれるたくさんの北の友人ができました。

ハバッド東京のニワトリ

ハバッド東京のニワトリ

2020年の春にコロナウイルスが蔓延する中、ラビ・エデリーは子供たちを退屈させない方法を考えました。ずっと室内にいるのは大変です。

解決策はというと、京都でボリス・ブラウンというヒヨコを10羽購入し、ヤマト運輸で東京に送ったのです。市役所では50羽までは送っても構わないと説明されました。宅配便の配達員は、「30年間働いてきて、生きた鶏を届けたのは初めてだ」と言いました。約4カ月後、彼らは卵を産み始めました。ニワトリとその卵は、エデリー家の子供たちには大好評で、近所の人たちには大歓迎されました。気に入ってもらえたようです。

コロナウイルス ダイヤモンドプリンセス乗客の救援

コロナウイルス ダイヤモンドプリンセス乗客の救援

1年前、ちょうど世の中でコロナウィルスについてのニュースが報道され始めた頃、クルーズ船「ダイヤモンドプリンセス」が横浜・大黒埠頭に停泊しました。イスラエルやオーストラリア、アメリカほかの国々からの乗客が船内に隔離され、コロナに感染した人々は病院に収容され、帰宅できるまでに2か月かかりました。私たちはすぐに、助けるための手立てを探り始めました。経験から、お役所仕事とは時間がかかるもので、困っている人たちは、すぐに必要な支援を受けることができません。行動はすぐに起こす必要がありました。私たちは、平日と安息日にも、温かい食事を詰めた箱を直接船に配達しました。乗客が必要としているものはたくさんありましたが、船上で入手することは不可能でした。私たちは、乗客の一人一人から「欲しい物リスト」をもらって、必要な品物を箱に入れました。愛情や気遣いを感じてほしかったし、孤独ではないと感じてもらうためなら何でもするということを知ってほしかったからです。このようにして乗客の感情を支え、このつらい経験の間ずっと、誰かがそばにいるということをわかってもらいたかったのです。コロナウィルス初期のこの、予測不可能だった混乱期には、これが最も重要な点でした。 親愛なる友人のアリク・アムサレムには、可能な限りの時間や人脈、資金、労力、愛情を捧げてくれたことに心からの感謝を捧げます。

コロナウィルスが影響を及ぼしているこの困難な時期にこそ、自らを省みて行動を起こすことが重要だと考えます。神の思し召しにより、私たちは、かつてのように、自由に移動して好きなことをやる可能性を失いました。ですが、家族や友人、配偶者や子供たち、自分自身や自然、そして、自分の周りにいる人たちに心を配ったり、助けたり、支援体制を整えたりといったように、今まで、なおざりにしたり、おろそかにしてきた重要なことをする時間が増えたと言えます。私たちは、神様が私たちに与えてくれたこのチャンスに気づく必要があります。また、病気というものは、精神状態と必ず関連しているものです。今こそ、善行やミツヴォットを高める時です。善い行いをすることこそ、自分の魂を高め、よみがえらせるための最善の手段です。あらゆるレベルで自分たちを癒すこと。人間社会全般で魂が健康になるかどうかは、一人ひとりの人間にかかっています。自分の務めを果たしましょう。今こそ救い主を!

乗客の一人が病院から解放されたときの様子
ダイアモンドプリンセス乗客たちのためのコーシャ料理
ダイヤモンドプリンセス乗客のためのコーシャ料理