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投稿者: Rabbi Binyomin Edery

ナショナル麻布との連携

ナショナル麻布との連携

ナショナル麻布スーパーマーケットとのプロジェクトも、素晴らしいものでした。

ナショナル麻布スーパーマーケットとラビ・エドリーやハバッドハウス・オブ・ジャパンとの間には、長年のお付き合いがありました。 

津波が起きた時、ラビは東北の人々に物を寄付したい、という人々からたくさんの電話やeメールを受け取りました。助けたいが、どこに行ったらいいのか、どうしたらいいのか分からない、という人たちが大勢いたのです。そこで、ラビは計画を立てました。ナショナル麻布スーパーマーケットに、店の外にいくつか、大きなカゴを置いて、寄付したいものを入れてもらうようにお願いしたのです。1つは衣料、2つ目は乾物、3つ目はそれ以外というように。スーパー側からは、運搬用のトラックが提供されました。

数日後には、大量の寄付品が集まりました。ラビは夜を徹して、岩沼市の友人宅まで運びました。これは大きな家だったので、積み下ろし場所、また仕分け所として利用されました。品物は、ベビー服や靴、タオル、コート、毛布、食品といったように、カテゴリーごとに整理されました。これを市役所の人が引き取って、被災者が一時的に暮らしていた市庁舎まで持ち帰りました。時には直接、中心部まで救援物資を運ぶこともありました。

寄付品の量は日に日に増え、ラビはとうとう隔週で、2トントラックを借りることになりました。これは、何カ月も続けられました。

ラビのトラックレンタル料とガソリン費用の足しになるようにと、スーパーマーケットのレジ横に募金箱が置かれました。

ナショナル麻布スーパーマーケットでは、社長と支配人がラビ・エドリーとハバッドハウス・ジャパンの救援活動を熱心に応援してくれました。これは、東北の人々に大きな満足と喜びを与えることになりました。

救援物資は毎週大量に運び込まれ、人々に「あなたたちは孤独ではない、私たちはあなたたちのことを思っているし、できる限り助けたい」という強いメッセージを伝えることになりました。  

ナショナル麻布スーパーマーケットでは、高級なステーキ肉やハーゲンダッツのアイスクリームなど、食品も提供してラビをサポートしてくれました。

ハーゲンダッツプロジェクト

ハーゲンダッツプロジェクト

何千もの焼き芋が配られ、焼き芋プロジェクトは信じられないほどの成功を収めました。みんな彼らを愛し、「焼き芋ラビ」がまた次回、満面の笑みとともにやってくるのを心待ちにしました。子どもたちはラビとスタッフたちにありがとうと言いにやってきました。ある日、少しずつあたたかくなってきていた時のことです、子供たちが「わたしたちは焼き芋は好きだけど、アイスクリームもあるともっとうれしいだろうなぁ!」と言いました。ラビは、次回アイスクリームを持ってくると約束しました。

ラビ・エデリーはスーパーマーケットのナショナル麻布の社長さんにハーゲンダッツアイスクリームを東北に、特に子どもたちに持っていきたいと言いました。彼は「もちろん、ラビ、半値でゆずるよ。」と言ってくれました。ナショナル麻布はもう半分の料金を払ってくれました。これは本当にすごいことです。そこでハバッドのスタッフとボランティアたちは、東北までの運転する間アイスクリームがとけないように保冷ボックスを用意しました。

アイスクリームは多くの避難所で配られ、子どもたち、大人、老人も若い人も、男の人も女の人も、心を込めておくられたハーゲンダッツをみんな楽しみました。

なぜラビはハーゲンダッツをえらんだのでしょうか。それはハーゲンダッツがとてもよいアイスクリームだからです。贈り物をおくるときは一番いいものをおくるのがいいんです!

ピアノ

ピアノ

ラビ・エドリーは何度も東北を訪れ、当時は市役所や仮設住宅で暮らしていた現地の人々を助けました。仮設住宅は、政府が新しい地域を開発するまで、一時的な住居としての役割を果たすものでした。

ある時、ラビ・エドリーは住んでいる人たちがうまく新しい現実にうまく対応できているかどうか、様子を伺おうと、一軒の仮設住宅のドアを叩きました。何か必要なものがあるかどうか、できることはないか、知りたいと思ったのです。その家の9歳のお嬢さんに、今どんな気持ちかと尋ねると、彼女は「ピアノの練習ができなくなって悲しい」と答えました。津波によって家は破壊され、大好きだったピアノも流されてしまったのです。ラビはなんとかしてピアノを手に入れてあげるからと、彼女に約束しました。

そして、ラビ・エドリーはピアノを手に入れることができたのです。

ナショナル麻布スーパーマーケットでは、店の外側に大きなかごを置き、ラビやハバッド・ジャパンと協力して、顧客に、東北の人たちのための品物を寄付してくれるように呼び掛けていました。その日、店長の鳥海さんがラビに電話してきて、ピアノを寄付したいお客さんがいると伝えてきました。ラビ・エドリーは、これは神様からの素晴らしい贈り物だと思いました。東北の少女がピアノが欲しいと言ったその同じ日に、東京で、ピアノを寄付したい人が現れたのです。信じられないことでした。

ラビ・エドリーはすぐに配送会社のクロネコヤマトに手配を頼み、寄付してくれる方の港区の家からピアノを引き取ってもらい、すぐに東北で家族が待つ家にピアノを直接配送してもらいました。

数日後にピアノが届くと、少女の喜びようといったら言葉に尽くせないほどでした。やっと音楽の練習をすることができるようになって、嬉しくて胸がいっぱいの様子でした。悲惨な状況に囲まれる中で、音楽を練習するのは、彼女にとって大きな慰めであり、希望の源でもありました。少女はラビに感謝の手紙を書き、微笑んで見守る両親とともに、ほぼ新品のピアノを幸せそうに演奏している写真も同封してくれました。

フラワープロジェクト

フラワープロジェクト

家々が流されてしまった東北のコミュニティでは、政府から、他の土地をもらって引っ越して別の場所でコミュニティ全体を立て直すか、それとも、個人で補償金を受け取って、好きなところに引っ越すという選択肢が与えられました。岩沼では、コミュニティ全体が新しい地域に引っ越すことを選択しました。これには時間がかかりますので、政府は、新しい地域が決まってて準備が整うまで、人々が暮らすことのできる仮設住宅を提供しました。.
仮設住宅は、住居として住むには十分ですが、友人や財産を失ってしまった人たちにとっては、心身が休まるところではありませんでした。ラビ・エドリーは、人々に前向きなエネルギーを与えることのできる、具体的で思いやりのある方法はないかと考えました。そこで、大田花市場に行き、鉢植えを何百個も購入し、一つ一つに、色とりどりの花やハーブを植えました。花卉配達用の特別なトラックを借りると、東北に向かって一晩中運転して、各家族に配りました。朝になると、住民たちは仮設住宅の玄関に、美しい花の大きな鉢植えがおかれているのを見つけました。人々は希望と成長のメッセージであるかのようなこの鉢植えを大変喜びました。花が種から育つように、人生もまた、再び育って花を咲かせるのです。


ひとりの女性がラビのところにやってきて、津波で庭を失ってしまって毎朝、花に水やりをすることができなくなって淋しく思っていたので、また水やりができて嬉しいわ、ありがとう、と言いました。.
フラワープロジェクトは、人々が苦難を心身ともに乗り越えようとしていた時に、ラビ・エドリーが行った様々な活動の一つです。

イベント開催

イベント開催

ラビ・エドリーとハバド・ジャパンのボランティアの人たちは、津波後数ヵ月間に渡って、たくさんのイベントを開きました。これらのイベントは、人々の間で絆を強め、気持ちを明るくすることを目的としていました。幸せや、愛情、思いやりを感じてほしかったのです。こうしたイベントによって、自分たちは独りぼっちではなく、誰かが自分たちのことを思ってくれていると、知ってほしかったのです。 

ラビ・エドリーはナショナル麻布スーパーマーケットで一番よい肉を選んで、バーベキューを開きました。ラビは、社長と長年の親交がありましたので、東北のイベントのために喜んで協力してくれました。

ラビ・エドリーは、日本酒や緑茶、味噌、醤油、みりんといった日本の食品に、「コーシャジャパン」というコーシャ認証を付与しています。ラビは、各メーカーに連絡して、東北の人たちのために製品を寄付してくれるように頼みました。獺祭と南部美人は、素晴らしい酒を気前よく寄付してくれました。もちろん、子供たちのことも忘れませんでした。暑い時にはかき氷やポップコーン、寒い時には焼き芋が配られました。 

また、気がまぎれるように、ミュージシャンやダンサー、バルーンアーティストによるパフォーマンスや、子供用の図画工作、手品や太鼓の演奏なども行われました。こうして人々を元気づけ、町では喜びの声が上がるようになりました。

家は壊されてしまいましたが、ラビ・エドリーは人々の気持ちがしっかり保たれ、喜びを感じられるように、全力で取り組んだのです。

これらのイベントは、終わった後もずっと、東北の人たちの心に残りました。まるでみな家族のような気持ちになり、厳しい出来事だったにも関わらず、ともに喜び祝う理由ができたのです。

たくさんの参加者が、このイベントで喜びと他の人たちとの連帯感を感じて、この困難な時期を乗り越える自信ができたと、ラビ・エドリーに感謝の言葉を伝えました。