配布センター

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ラビ・エデリーは東京から東北へ、毎週毎週、何か月間も、とんでもない量の支援物資をもっていきました。具体的には、2トントラックをレンタルし、週に2回、支援物資を満載して東北に持っていき、避難所にくばりました。

いったいどうやって支援物資をあつめて、そしてくばったのでしょうか?

ラビ・エデリーは、人々が寄付の品を入れる大きなバスケットをお店の外に置くよう、ナショナル麻布にお願いしました。バスケットのひとつは衣類、ひとつは保存のきく食べ物、もうひとつはその他の品です。人々はとてもたくさんの支援物資を持ってきました。東北へ送るまでの間、お店の倉庫を使わなければいけなかったほどの量です。

ラビ・エデリーとボランティアたちは週に2回、夜に来てその品々を2トントラックに積み込みました。たくさん集まったので、荷物を積み込むのには結構時間がかかりました。

彼らは夜通し運転して東北に向かいました。そして宮城県の岩沼に朝の4時や5時に着きました。

岩沼には友達のご両親の家があって、そこで荷物を降ろして整理しました。

女性もの衣類、子ども用衣料、くつ、コート、タオル、食べ物、ベビーフード、衛生用品、電気製品、毛布、せっけん、シャンプーなどなど、物資の仕分けに町からチームがやってきてくれました。ラビ・エデリーと友人たちは彼らのための手配もしました。

そして、政府の人、区役所や市役所の人たちがそれらの物資を持っていきます。これらの人たちはいろんな場所からやってきます。なので、それぞれの町と、いつ物資を取りに来るのか、事前にきちんとスケジュールを立てておかないといけません。

荷下ろしと整理は、もっと作業がしやすいように、市の劇場ホールで行われることもありました。

物資は、人々が必要なものやほしいものを選べるように、きちんと整理されました。

それは一見、市場のように見えました。ただし、無料であることを除いては。このシステムが出来上がり、人々はとても喜びました。彼らが一時的にいる場所で必要なものを得るのに素晴らしい場所だったからです。その頃お店は空いていませんでした。商売のトラックは道路が壊れているため東北までたどりつけませんでした。被災者支援の人たちだけが、警察から高速道路を使う許可をもらえたのです。ラビ・エデリーはこの許可を得て、彼と彼のスタッフが支援物資を配る、この途方もない仕事をできるようにしたのです。

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