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カテゴリー: 東日本大震災救援活動

イベント開催

イベント開催

ラビ・エドリーとハバド・ジャパンのボランティアの人たちは、津波後数ヵ月間に渡って、たくさんのイベントを開きました。これらのイベントは、人々の間で絆を強め、気持ちを明るくすることを目的としていました。幸せや、愛情、思いやりを感じてほしかったのです。こうしたイベントによって、自分たちは独りぼっちではなく、誰かが自分たちのことを思ってくれていると、知ってほしかったのです。 

ラビ・エドリーはナショナル麻布スーパーマーケットで一番よい肉を選んで、バーベキューを開きました。ラビは、社長と長年の親交がありましたので、東北のイベントのために喜んで協力してくれました。

ラビ・エドリーは、日本酒や緑茶、味噌、醤油、みりんといった日本の食品に、「コーシャジャパン」というコーシャ認証を付与しています。ラビは、各メーカーに連絡して、東北の人たちのために製品を寄付してくれるように頼みました。獺祭と南部美人は、素晴らしい酒を気前よく寄付してくれました。もちろん、子供たちのことも忘れませんでした。暑い時にはかき氷やポップコーン、寒い時には焼き芋が配られました。 

また、気がまぎれるように、ミュージシャンやダンサー、バルーンアーティストによるパフォーマンスや、子供用の図画工作、手品や太鼓の演奏なども行われました。こうして人々を元気づけ、町では喜びの声が上がるようになりました。

家は壊されてしまいましたが、ラビ・エドリーは人々の気持ちがしっかり保たれ、喜びを感じられるように、全力で取り組んだのです。

これらのイベントは、終わった後もずっと、東北の人たちの心に残りました。まるでみな家族のような気持ちになり、厳しい出来事だったにも関わらず、ともに喜び祝う理由ができたのです。

たくさんの参加者が、このイベントで喜びと他の人たちとの連帯感を感じて、この困難な時期を乗り越える自信ができたと、ラビ・エドリーに感謝の言葉を伝えました。

ニシム誕生

ニシム誕生

2011年3月11日に津波が起きた時、日本の人々は恐れおののきました。福島の原子発電所からの放射線汚染の脅威があり、人々は外出したがりませんでした。パニック買いが発生し、店の棚からは生活必需品が姿を消しました。

各国大使館は、自国民に対して帰国を促すメールを送ったため、成田空港には人がつめかけ、ロビーで寝泊まりして次の便を待つ人たちの姿も見られました。空気には、パニックと恐怖が満ち溢れていました。

ですが、ここに一人の恐れを知らない男性がいました。そして彼の頭の中には、「これほど大変な被害を受けた人々を、どうやって助けたらいいのだろう」ということしかなかったのです。

3月12日の土曜日の夜、ラビ・エドリーはハバッド・ジャパンの数人のボランティアを伴って、東北の人々のための救援物資で満載になったトラックで出発しました。放射線が怖くないのか、自分の命が大切ではないのか、奥さんや子供もいるのに、と訊いた人もいましたが、「自分の子供や兄弟姉妹が危険な目に合っていて、助けが必要なら、すぐに助けに行きませんか?」というのが彼の答えでした。「私が行っているのはそういうことです。ためらいは少しもありません」。

当時、ラビ・エドリーとエフラット夫妻には、もう一人子供が生まれるところでした。人々はラビに、妊婦や子供には危険があると伝えましたが、ラビは、実際は恐れられているほどではないはずだ、時間が経てば分かるだろうとはっきりと答えました。命を失おうとしている人々がいる時、最も大切なのは命を救うことであり、神様が助けてくれるだろうとも言いました。

津波から5か月後の2011年8月28日に、ラビ・エドリー夫妻の間にたまのような、元気な男の赤ちゃんが生まれました。この子はニシム・アリエルと名付けられましたが、ニシムとは、奇跡を意味します。またに、津波の間中の神に対する感謝や、今後の祈りに対して神様が応えられた証なのです。日本にも、奇跡や素晴らしい出来事が起きるはずです。アリエルは困難を克服することの象徴である神のライオンを意味します。

誕生するとすぐに、ラビには、津波以降も変わらぬ無私無欲の支援に感謝した東北の人たちが一人一人、お祝いや祈りの言葉を寄せ書きにしてくれ、額に仕立ててプレゼントしてくれました。これは、素晴らしい出産祝となりました。

破壊

破壊

津波は信じられないくらいの破壊をもたらしました。

多くの人たちの命が失われました。これは想像できないくらい悲しいことです。最初、ラビ・エデリーは、完全なる破壊と言えるようながれきからご遺体を探していた自衛隊を助けました。たくさんの人が、避難所などの掲示板に行方不明の愛する人たちの写真を貼り、「誰かこの人を見かけませんでしたか。」と聞いていました。亡くなった人たちをできるだけ早くきちんと埋葬することは、最期に際しての敬意としてこれ以上ないくらい大切なことです。

家も、ビルも、工場も、車も、みんなおしつぶされ、押し流されてしまいました。家があった場所に戻り、たぶん先だった人たちの写真やいろいろな大切なものを拾い集める人たちを目にしたものです。けれどほとんどのものは津波に持っていかれてしまいました。

最初の1週間、家を破壊された人たちは避難所にとどまりました。問題は、このように多くの人たちに対して、十分な数のシャワーやトイレがなかったことです。ラビ・エデリーとスタッフたちは人々を近くの温泉へ連れて行きました。こうして被災者の方たちはシャワーを浴びることができ、人間らしい気持ちを取り戻すことができました。ラビたちは、みなに順番がまわってくるよう、毎日何往復も温泉へ人々を運びました。

仙台空港は完全に破壊され、飛行機は飛んでいませんでした。

東北への道はほとんどこわれて、安全ではありませんでした。人々は、生活に必要な基本的なものを手に入れられませんでした。トラックが商品を東北まで運べなかったからです。お店は商品がなくからっぽでした。タンクローリーが北へ向かえなかったため、ガソリンも不足していました。政府は、援助隊にガソリンが優先的にまわるようにしました。ラビ・エデリーとスタッフたち、自衛隊は高速道路を使う特別な許可を得ました。

興味深いことに、木々は生きていました。何本かの木は頭まで津波につかり、しかし折れませんでした。根が深く、強く張っていたからです。

何人かの人は、木のてっぺんにつかまり、津波から奇跡的に生還しました。

人は木に似ています。木は強い根があることで、強い風や水害や、台風や津波に耐えられます。同様に、人には創造主の息吹が込められていて、それによって心を強くたもち、破壊やトラウマから立ち直れます。

東北の津波はしかしまた、個人を、そしてコミュニティを再建にむけた、希望、強さ、へこたれなさを奮い立たせました。この震災の破壊から、いろいろなレベルで多くの成長や発展が生まれました。多くのつながりや友情が結果として生まれました。ラビ・エデリーには、彼を愛し、ありがとうと言ってくれるたくさんの北の友人ができました。