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カテゴリー: 東日本大震災救援活動

ビバリーヒルズでの寄付集め

ビバリーヒルズでの寄付集め

救援作業には、多額の費用がかかりました。ラビ・エドリーは、1億円もの費用をどうやって捻出したのでしょうか。それは、とても独創的な方法でした。まず、できるだけたくさん、関わってくれる人を集めました。ボランティアの人たちはそれぞれ、自分のネットワークにコンタクトして、必要な資金を集めました。人々は驚くほど多額の寄付をしてくれましたが、中でも、世界中のユダヤ人コミュニティから寄せられた金額はかなり大きなものでした。アメリカやイギリス、イスラエルから、次々と寄付が寄せられました。 

ラビ・エドリーは、お金を集めるための素晴らしいアイデアを思い付きました。ビバリーヒルズに住むラビの友人のユダヤ人が、資金集めのディナーを開くことを提案してくれたのです。ラビは日本酒の獺祭を提供し、獺祭の社長もこのディナーに参加して、日本酒を宣伝し、寄付を募りました。ラビ・エドリーは、カリフォルニアにある日本製品輸出入会社、日本製品を数多く輸入していたミューチュアル・トレーディングの社長も招待しました。_社長も参加し、ラビ・エドリーが日本の人々を助けようと多大な努力をしていることや、その救援活動に非常に感動したと言って、かなり多額の寄付をしてくれました。大勢の人が活動に感銘を受け、東北の人たちのために募金をしてくれました。

なぜラビが救援しているのか、それは日本政府の仕事ではないのか、と訊かれると、ラビ・エドリーは、人々が助けを必要としていたら、他人が動くのを待つのではなく、すぐに、助けるためにできるだけのことをしなくてはならないのだと答えました。

必要な資金が集まったので、ラビ・エドリーとスタッフは東北の多くの人々やコミュニティのために、必要とされている支援や救援の多くを達成することができました。

ナショナル麻布との連携

ナショナル麻布との連携

ナショナル麻布スーパーマーケットとのプロジェクトも、素晴らしいものでした。

ナショナル麻布スーパーマーケットとラビ・エドリーやハバッドハウス・オブ・ジャパンとの間には、長年のお付き合いがありました。 

津波が起きた時、ラビは東北の人々に物を寄付したい、という人々からたくさんの電話やeメールを受け取りました。助けたいが、どこに行ったらいいのか、どうしたらいいのか分からない、という人たちが大勢いたのです。そこで、ラビは計画を立てました。ナショナル麻布スーパーマーケットに、店の外にいくつか、大きなカゴを置いて、寄付したいものを入れてもらうようにお願いしたのです。1つは衣料、2つ目は乾物、3つ目はそれ以外というように。スーパー側からは、運搬用のトラックが提供されました。

数日後には、大量の寄付品が集まりました。ラビは夜を徹して、岩沼市の友人宅まで運びました。これは大きな家だったので、積み下ろし場所、また仕分け所として利用されました。品物は、ベビー服や靴、タオル、コート、毛布、食品といったように、カテゴリーごとに整理されました。これを市役所の人が引き取って、被災者が一時的に暮らしていた市庁舎まで持ち帰りました。時には直接、中心部まで救援物資を運ぶこともありました。

寄付品の量は日に日に増え、ラビはとうとう隔週で、2トントラックを借りることになりました。これは、何カ月も続けられました。

ラビのトラックレンタル料とガソリン費用の足しになるようにと、スーパーマーケットのレジ横に募金箱が置かれました。

ナショナル麻布スーパーマーケットでは、社長と支配人がラビ・エドリーとハバッドハウス・ジャパンの救援活動を熱心に応援してくれました。これは、東北の人々に大きな満足と喜びを与えることになりました。

救援物資は毎週大量に運び込まれ、人々に「あなたたちは孤独ではない、私たちはあなたたちのことを思っているし、できる限り助けたい」という強いメッセージを伝えることになりました。  

ナショナル麻布スーパーマーケットでは、高級なステーキ肉やハーゲンダッツのアイスクリームなど、食品も提供してラビをサポートしてくれました。

ハーゲンダッツプロジェクト

ハーゲンダッツプロジェクト

何千もの焼き芋が配られ、焼き芋プロジェクトは信じられないほどの成功を収めました。みんな彼らを愛し、「焼き芋ラビ」がまた次回、満面の笑みとともにやってくるのを心待ちにしました。子どもたちはラビとスタッフたちにありがとうと言いにやってきました。ある日、少しずつあたたかくなってきていた時のことです、子供たちが「わたしたちは焼き芋は好きだけど、アイスクリームもあるともっとうれしいだろうなぁ!」と言いました。ラビは、次回アイスクリームを持ってくると約束しました。

ラビ・エデリーはスーパーマーケットのナショナル麻布の社長さんにハーゲンダッツアイスクリームを東北に、特に子どもたちに持っていきたいと言いました。彼は「もちろん、ラビ、半値でゆずるよ。」と言ってくれました。ナショナル麻布はもう半分の料金を払ってくれました。これは本当にすごいことです。そこでハバッドのスタッフとボランティアたちは、東北までの運転する間アイスクリームがとけないように保冷ボックスを用意しました。

アイスクリームは多くの避難所で配られ、子どもたち、大人、老人も若い人も、男の人も女の人も、心を込めておくられたハーゲンダッツをみんな楽しみました。

なぜラビはハーゲンダッツをえらんだのでしょうか。それはハーゲンダッツがとてもよいアイスクリームだからです。贈り物をおくるときは一番いいものをおくるのがいいんです!

ピアノ

ピアノ

ラビ・エドリーは何度も東北を訪れ、当時は市役所や仮設住宅で暮らしていた現地の人々を助けました。仮設住宅は、政府が新しい地域を開発するまで、一時的な住居としての役割を果たすものでした。

ある時、ラビ・エドリーは住んでいる人たちがうまく新しい現実にうまく対応できているかどうか、様子を伺おうと、一軒の仮設住宅のドアを叩きました。何か必要なものがあるかどうか、できることはないか、知りたいと思ったのです。その家の9歳のお嬢さんに、今どんな気持ちかと尋ねると、彼女は「ピアノの練習ができなくなって悲しい」と答えました。津波によって家は破壊され、大好きだったピアノも流されてしまったのです。ラビはなんとかしてピアノを手に入れてあげるからと、彼女に約束しました。

そして、ラビ・エドリーはピアノを手に入れることができたのです。

ナショナル麻布スーパーマーケットでは、店の外側に大きなかごを置き、ラビやハバッド・ジャパンと協力して、顧客に、東北の人たちのための品物を寄付してくれるように呼び掛けていました。その日、店長の鳥海さんがラビに電話してきて、ピアノを寄付したいお客さんがいると伝えてきました。ラビ・エドリーは、これは神様からの素晴らしい贈り物だと思いました。東北の少女がピアノが欲しいと言ったその同じ日に、東京で、ピアノを寄付したい人が現れたのです。信じられないことでした。

ラビ・エドリーはすぐに配送会社のクロネコヤマトに手配を頼み、寄付してくれる方の港区の家からピアノを引き取ってもらい、すぐに東北で家族が待つ家にピアノを直接配送してもらいました。

数日後にピアノが届くと、少女の喜びようといったら言葉に尽くせないほどでした。やっと音楽の練習をすることができるようになって、嬉しくて胸がいっぱいの様子でした。悲惨な状況に囲まれる中で、音楽を練習するのは、彼女にとって大きな慰めであり、希望の源でもありました。少女はラビに感謝の手紙を書き、微笑んで見守る両親とともに、ほぼ新品のピアノを幸せそうに演奏している写真も同封してくれました。

フラワープロジェクト

フラワープロジェクト

家々が流されてしまった東北のコミュニティでは、政府から、他の土地をもらって引っ越して別の場所でコミュニティ全体を立て直すか、それとも、個人で補償金を受け取って、好きなところに引っ越すという選択肢が与えられました。岩沼では、コミュニティ全体が新しい地域に引っ越すことを選択しました。これには時間がかかりますので、政府は、新しい地域が決まってて準備が整うまで、人々が暮らすことのできる仮設住宅を提供しました。.
仮設住宅は、住居として住むには十分ですが、友人や財産を失ってしまった人たちにとっては、心身が休まるところではありませんでした。ラビ・エドリーは、人々に前向きなエネルギーを与えることのできる、具体的で思いやりのある方法はないかと考えました。そこで、大田花市場に行き、鉢植えを何百個も購入し、一つ一つに、色とりどりの花やハーブを植えました。花卉配達用の特別なトラックを借りると、東北に向かって一晩中運転して、各家族に配りました。朝になると、住民たちは仮設住宅の玄関に、美しい花の大きな鉢植えがおかれているのを見つけました。人々は希望と成長のメッセージであるかのようなこの鉢植えを大変喜びました。花が種から育つように、人生もまた、再び育って花を咲かせるのです。


ひとりの女性がラビのところにやってきて、津波で庭を失ってしまって毎朝、花に水やりをすることができなくなって淋しく思っていたので、また水やりができて嬉しいわ、ありがとう、と言いました。.
フラワープロジェクトは、人々が苦難を心身ともに乗り越えようとしていた時に、ラビ・エドリーが行った様々な活動の一つです。