ノアの法

ノアの法

 ユダヤ教の奉じる世界に唯一の神は、その論理的帰結でもありますが、世界の全て、つまりユダヤ人だけでなく非ユダヤ人も覆っています。

 ユダヤ人を介して唯一神から人類に伝えられた教えトーラーには、義人ノアや義人アブラハムの物語も伝えられています。ノアやアブラハムはユダヤ民族成立前の人物ですからユダヤ人ではなく、彼らの足跡が正義にかなっていたと伝えるトーラーはつまり、非ユダヤ人にとってどのような生き方が善い生き方か(つまり唯一神から与えられた戒律)についても語っています。

 この非ユダヤ人向けの戒律は大きく7つにまとめられ、その7つめが唯一神からノアへの命令で出そろったため、「ノアの7つの法」と呼ばれています。そして、シナイ山でモーセとイスラエルの民数百万人にトーラーが啓示されたとき、ノアの法の存在していることがユダヤ人に伝えられ、戒律を足しても引いてもいけない(申命記4:2)こと、つまりユダヤ人向けの戒律、非ユダヤ人向けの戒律のセットがそれぞれ完成に達したことが伝えられました。善にして全知全能にして永遠の唯一神が開示してくださった永遠の教えの中に、非ユダヤ人向けの生き方指南も含まれているわけです。

  • 偶像崇拝をしてはいけない

 崇拝対象としてよいのは世界の創造主にして世界の王である唯一の神のみです。具体的なものであれ、誰かの想像の中の存在であれ、世界の一部分を取りだして、それが世界を統べる力を持っているかのように拝むことが偶像崇拝です。偶像は世界を覆う存在でなく世界の一部であるため、世界の共通正義の担保者とはなれません。信じて拝むということはそれが絶対に正しいということの表明であり、偶像を崇拝するということは矛盾した行為となります。また、世界の一部を「神」と指定して拝んでいるその人は、意識的にか無意識的にか、自分のことを神を指定できるような神ないしそれ以上の存在であると考えてしまっていることとなり、したがって偶像崇拝は傲慢な行いでもあります。偶像を崇拝するような愚かにして傲慢な行為をすることは善いことではありません。

  • 唯一神の名を冒涜してはいけない

 世界はただ無意味に存在するのでなく、善にして全能な唯一神がその存在を望んで無から創造しました。世界が無意味に存在していると積極的に信じることは矛盾した愚かな考えです。創造主である唯一神が無から有を生み出す力が日々働いていなければ、世界は無に帰ってしまいます。したがって、私たちが生きているのは全て、創造主がその善き意思で私たち一人一人の存在を望み、使命を託してくれていることの表れです。この唯一神の存在を認識しつつ、その名を呪ったり、無為に口に出すという不敬を働くことは非常に恩知らずな行為で、してはいけません。

  • 殺してはならない

 人は唯一神の似姿に作られました(創世記1:27)。その意味は、人は唯一神の善性を発露する潜在力を持った存在として創られたということです。人(自分自身を含みます)を害することは、この神の似姿を害することであり、したがって悪の行為です。また殺人は、被害者(とその子孫)によって将来的に善がなされたかもしれない可能性を摘む行為です。そして、被害者ないし被害者の子孫の善行が最後の一石となって世界の存在目的が成就し、メシアが訪れるかもしれません。そのためユダヤ教では、一人の人を殺すことは世界全体を滅ぼすことに等しいと考えられています。また、すべての人は善なる唯一神がその完全なる善の計画の下で生かしていますから、人を殺すということは唯一神への反逆でもあります。唯一神の似姿を害するという意味で、殺人だけでなく、傷害や、人の名誉を傷つける悪口やゴシップも殺人に類するものとして禁止されています。

  • 盗んではならない

 この世界の全ては創造主が創ったものであり、全能なる創造主はすべての被造物の配置を監督しています。したがって、富は究極的には個人の持ち物ではなく、唯一神が善行のための資源として、それぞれの人の能力と使命に応じて各人に信託して配置しているものです。このため、人から適切でない方法で所有物を奪う行為は、唯一神の善なる計画を妨害する行為であり、してはなりません。

  • 姦淫してはならない

 倫理とは善悪の境界線があって初めて成立するものであり、何でもありの自由は善ではありません。性的関係についても唯一神によって定められた善悪の線引きがあり、これを破る行為は姦淫となります。社会は人から構成され、人は父母がいて生まれてきます。子供への親の影響は大きく、善い社会は善い家庭が子をなし、善悪についてのしっかりした教育を親が子に授けることで継続的に支えられます。適切な男女関係を持ち、善い次世代を育みましょう。

  • 生きている動物から切り取った肉を食べてはならない

 アダムは動物を食べることを禁じられていましたが、世界の大洪水の後、ノアは動物を食べることを許されました。しかしそれは無制限にではありません。不要な苦痛を与えないよう、まずきちんと動物の命が活動を停止するのを待ってから肉をとるように命じられました。この戒律は、世界の被造物に慈しみを持ち、被造物を大切に、善い目的のためにのみ用いるべきという指針のシンボルとなっています。

  • 正義の法廷を立てよ

 社会に秩序が無ければ正義は実効的に存在できません。何が正義で何が不正義かを秩序だって裁く法廷を社会として持ち、個々人も善い社会を目指し、社会秩序を尊重しなければなりません。人は社会秩序の構築に向かってこそ行動すべきであり、社会秩序を徒に擾乱させることは、正義の存立基盤を崩す行為であり悪となります。しかし社会秩序は正しいものでなければなりません。旅人に親切にすることを禁じる法律を施行していたソドムの街は唯一神によって滅ぼされました。正しい社会の基盤として、人に親切にすることは大切な行いです。

 世界の一部分である人間だけでは、世界を覆う普遍正義を立てることはできません。正義は唯一神に指定された善悪を基盤としていなければ普遍正義となり得ません。誰しも「良かれ」と何かを信じて生きているわけですが、真の善は往々にして各人の欲や知性の限界によって隠されています。幸いなことに、唯一神はシナイ山での啓示を通して、その存在と普遍正義の指針(ノアの法を含むトーラー)を人類に対して明らかにしてくださいました。そして、私たちはトーラーを学んで、生き方の道しるべとすることができます。一刻も早くメシアが到来し、人類に唯一神の真の善が開示され、世界から悪が無くなりますように。

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