トルドット: 祝福に値するのは誰ですか?
ヤコブがエサウの祝福を扮装して受け取ったのは正しかったのでしょうか?彼が父親(訳注:イサク)を欺き、イサクが与えようとしていた祝福を兄(訳注:エサウ)からとったのは正しかったのでしょうか?リベカがヤコブにそれを実行するよう勧めたのは正しかったでしょうか?リベカは正義の人であり、(訳注:ネ’申との)契約を継続し、アブラハムの使命を将来に伝えるのはエサウではなくヤコブであることを知っていました。彼女は 2 つの異なる理由からこのことを知っていました。 まず、彼女は双子(訳注:エサウとヤコブ)が生まれる前に受け取った神託の中で、ネ’申自身から次のことを聞いていました。
「あなたの胎内には二つの国があり、
そしてあなたの中から二つの民族が分離されるでしょう。
一人はもう一人よりも強いでしょう。
そして年長者は年下者に仕えることになる』
エサウは兄であり、ヤコブは弟でした。したがって、より強力になって現れるのはヤコブであり、ネ’申によって選ばれたのはヤコブでした。
リベカは、エサウが狩人であり、暴力と脅威を与える人であることを知っていました。彼女は彼が衝動的な人であることを見ていました。エサウは永遠を意図した契約の守護者となることはできません。祝福はヤコブに与えられなければなりませんでした。そして、もしその祝福が、それを大切にして生きる人に確実に与えられるようにする他の方法が彼女になかったとしたら、この場合、目的は手段を正当化することになります。リベカは真実がどこにあるのかを正確に知っていました。
イサクがヤコブに与えた祝福は、物質的な繁栄と、エサウの悪に打ち勝つことができるという約束でした。ヤコブが賢明な方法でこれらの祝福を獲得したという事実は、今日私たちがエサウの子孫、つまりアマレクとどのように関わるべきかを教えてくれます。恐怖と暴力を特徴とするアマレクの行動、エサウの継続が、贖い出しの直前にまだ繁栄しているのは誰もが見ることができるところです。一方、世界の多くの国に代表されるエサウ自体はすでに十分に清められており、贖い出しの準備ができています。
悪の側に立つ人々はテロと暴力の支持者であることがわかります。真の側にいる人々は、純粋な悪との彼らの戦いにおいてユダヤ人の支持者でいます。そして残りはまだ傍観者です。世界は神聖な真実を明らかにする新たな段階に入りつつあります。モシアハは純粋な悪との最終戦争を終え、第三の聖なる神殿を再建しようとしています。
【※】本和訳は誠実に和訳しましたが、日本語を読むことができ、戒律を守る生活をしている敬虔なユダヤ人から承認を受けた訳ではありません。その点はご了承ください。
【※】英語で言うところのG-dを他の神から区別するために「ネ’申」と訳しました。また、英語で言うRedemptionを「贖い出し」と訳しました。