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月: 2024年9月

ニツァヴィム:ロシュ・ハシャナの準備

ニツァヴィム:ロシュ・ハシャナの準備

Rabbi Bernstein Mosheの記事翻訳シリーズ、今回はパラシャット・ニツァヴィムについてです。

ロシュ・ハシャナ(訳補:ユダヤ暦で新年の日)は、自己反省、悔い改め、そしてネ’申の王権を受け入れる時です。この概念は、ユダヤ人だけでなく全人類に当てはまります。なぜなら、この日にはすべての人々が裁かれるからです。では、この祝日はノアの子らにとって何を意味するのでしょうか?

ブネイ・ノア(訳注:ノアの子ら)は、悔い改めがユダヤ人にとって基本的な戒律であるが、非ユダヤ人にとっては、ネ’申を信じるべしという最初の戒律から生じる道徳的義務としての側面のほうが大きいと認識している人です。ヨナの物語(ヨナ記 3 章)は、ニネベの人々がヨナの警告を受けて悔い改めたことからわかるように、ユダヤ人だけでなく非ユダヤ人も誠実に悔い改めるべきであることを示しています。トーラーは、ヘベル(訳注:アベル)を殺害した後のカインへのネ’申の指示(創世記 4:7)を記しています。過ちを認めて変化することの必要性は、すべての人類に普遍的に当てはまります。

偶像崇拝の否定とネ’申への信仰は、ノアの子孫にとって最初の戒律です。ネ’申を信じるということは、戒律を破ったことを認め、過ちを改めようとすることを意味し、自分について申し開きをすることと自己を改善することの重要性を強調しています。全体として、ネ’申のもとに戻り、天のくびきを受け入れるという意味での悔い改めは、すべての人類に当てはまります。非ユダヤ人にとって、ネ’申を信じ、ネ’申に仕えることは、最初の戒律から派生する義務です。王の命令を無視して罪を犯した人は、悔い改めによってそれを正すべきです。

ロシュ・ハシャナは、世界と人類の創造の記念日であり、ネ’申の真の命の贈り物であり、成長し、自分自身を改善する機会です。ロシュ・ハシャナの期間にネ’申に立ち返ること(テシュバ)は、確かに喜びをもって行うことができます。自己反省と悔い改めのプロセスは、過去の行為に対する悲しみの感情を呼び起こすこともありますが、ロシュ・ハシャナは究極的には再生のイベントであり、新たなスタートの機会です。善行を通してネ’申とより親密な関係を築き、よりよい自分になるという決意を再確認することで、私たちは与えられた機会への感謝の気持ちで満たされます。

【※】本和訳は誠実に和訳しましたが、日本語を読むことができ、戒律を守る生活をしている敬虔なユダヤ人から承認を受けた訳ではありません。その点はご了承ください。
【※】英語で言うところのG-dを他の神から区別するために「ネ’申」と訳しました。

キ・テツェ:悪を善に変える

キ・テツェ:悪を善に変える

キ・テツェのトーラー部分では、ラション・ハラ(悪口)というテーマに焦点が、特にモーゼの妹で預言者のミリアムに関して当たっています。彼女は預言者であり指導者として尊敬されていましたが、モーゼについて否定的な発言をしたためにネ’申かららい病の罰を受けました。これは、イスラエルの民の(訳補:出エジプトという)贖い出しに重要な役割を果たしたミリアムのような(訳補:霊的に)高められた人物であっても、適切な発言に関しての法を免れることはできないということを私たちに教えています。彼女の罰は、ラション・ハラの厳しさを強く思い起こさせる、言葉には害を与える力と癒す力の両方があるという警告でした。

トーラーは、ノアの子らにも適用される悪口の禁止が広範囲にわたる結果をもたらす可能性があるという事実を強調しています。たった一つの有害な言葉がコミュニティに波及し、評判、人間関係、信頼を損なうのと同じように、善行も同じように強力でポジティブな波及効果をもたらすことがあります。これはしばしばドミノ効果と比較されます。つまり、一つの善行が莫大な利益を生み出し、他の親切や善行のきっかけとなるのです。同様に、悪口がめぐりめぐって制御不能になることもありますが、その逆もまた真なりです。ポジティブな言葉と行為は永続的で有益な変化を生み出すことができます。

この考えは、ユダヤの伝統における原始的な蛇の煽動と深く結びついています。エデンの園の蛇は悪への性向の具現化であり、言葉を使って操作し、欺きます。「蛇」を意味するナハシュという言葉は、ゲマトリア(ヘブライ文字の数値)で、モシアハ(訳注:メシアのこと)という言葉に相当します。このつながりは、蛇が世界に悪をもたらしたのと同じように、モシアハがそれを根絶し、すべての創造物を正すことを示しています。

蛇が欺瞞と分裂を表すのに対し、モシアハは癒し、団結、そしてネ’申の真実への回帰をもたらします。この 2 つの言葉が同じ数値を共有しているという事実は、蛇によって象徴される悪の根源そのものが、メシアの時代に本質的に変化することを示しています。

悪口を控えることで、私たちは世界を正すプロセスに参加し、悪を完全に根絶する時に向けて準備します。悪口には破壊をもたらす力があるのと同じように、前向きな行動と発言は世界をその贖い出しの瞬間に近づけるのに役立ちます。

【※】本和訳は誠実に和訳しましたが、日本語を読むことができ、戒律を守る生活をしている敬虔なユダヤ人から承認を受けた訳ではありません。その点はご了承ください。
【※】英語で言うところのG-dを他の神から区別するために「ネ’申」と訳しました。また、英語で言うRedemptionを「贖い出し」と訳しています。

ショフティーム: 正義の裁判官の任命

ショフティーム: 正義の裁判官の任命

ショフティームのトーラー部分では、任命されるべき裁判官と、公正な司法制度を確立することの重要性について説明しています。申命記 16:18 では、トーラーは、偏見や腐敗のない公正な判決を下し、トーラーの原則に従って法律が維持されることを保証する正義の裁判官の必要性を強調しています。

ユダヤ人にとって、この戒律は基礎です。任命される裁判官は、誠実で知恵があり、トーラーについて深い知識を持つ人々であり、判決がネ’申の原則に従うことを保証する人物であることが期待されています。これらすべてはノアの子らにも当てはまります。この戒律は、裁判所を設立すべしという非ユダヤ人の戒律に直接適用されます。これには、ネ’申が全人類に与えた普遍的な原則であるノアの 7 つの法を支持する法制度の確立が必要です。これらの法は、道徳的で公正な社会のインフラとして機能し、裁判所の設立はそれらの施行に不可欠です。

ノアの子らの法廷は、世界で道徳を促進する上で重要な役割を果たしています。これらの法廷には、ネ’申の意志と知恵に沿った社会を創り出す力があります。法廷の責任は、犯罪者を処罰するだけでなく、コミュニティに7つの戒律を遵守するよう教育、警告、指導することにあります。

ノアの子らの法廷の裁判官は、ネ’申を畏れ、正義に深く関わり、ノアの7つの法とその基本原則に精通している必要があります。これには、数百年にわたって発展してきた関連する聖書の出典、解釈、法的解釈を完全に理解する必要があります。そのような裁判官は、これらの法を遵守することに専念し、判決がこれらの法が伝えることを意図している道徳的および倫理的教えを反映していることを確かにしなければなりません。法廷制度がネ’申の意志と一致しない場合、世界規模で何が起こるかがわかります。混乱した結果を生み出す可能性があります。

ノアの法廷を設立する義務は、より広い文脈にも当てはまります。これらは、ネ’申の意志を尊重し、道徳を促進し、正義が勝つことを保証する社会を創造することを目的としています。これらの原則に献身する正義の裁判官を任命することにより、私たちはネ’申の秩序を反映し、すべての個人が公平さと尊敬を受け、人生のあらゆる側面で正義が保たれる世界に向けた前向きなプロセスを開始できます。

【※】本和訳は誠実に和訳しましたが、日本語を読むことができ、戒律を守る生活をしている敬虔なユダヤ人から承認を受けた訳ではありません。その点はご了承ください。
【※】英語で言うところのG-dを他の神から区別するために「ネ’申」と訳しました。