ユダヤ教に関心を持たれた方へ
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ユダヤ教では非ユダヤ人に布教をしないため、基本的に非ユダヤ人向けに情報発信がなく、そのため非常に誤解されがちな宗教です。間違った情報も巷にあふれています。そのような状況の中、ユダヤ人との交流なく正確なユダヤ教の知識を得ることは至難の業です。ユダヤ教にシンパシーを感じてハバッド東京を訪れられる方でも、最初は間違っていたり不正確な情報をもとにユダヤ教についてのイメージを持っていらっしゃることが多々あります。
ラビ・ビンヨミンはこれまで、精神的な助けを必要としてハバッドにいらっしゃる方に多くお会いしてきました。ラビとの交流を通して正しいユダヤ教の知識を持っていただき、生き方のよい参照点にしていただきたいと考えております。
ユダヤ教の考えでは、善悪の体系は信仰の如何によらず存在しており、そこに各人が自由意思に基づいてどう行動するかが重要と考えます。ロボットのように強制された行動には善も悪もなく、自由意思があってこそ善が存在するという考えです。
ユダヤ教においては、ユダヤ人にはユダヤ人の戒律体系が、非ユダヤ人には非ユダヤ人の戒律体系(ノアの法)があるため、それぞれがそれぞれを守っていればよいという考えです。ノアの戒律はユダヤ人に課せられた戒律より非常にシンプルで、中身を見れば世界の多くの地域で実際に基本倫理となっているようなものです。またユダヤ人は歴史的に困難に見舞われやすいため、非ユダヤ人がユダヤ人になる動機が基本的に存在しえないともユダヤ教としては考えます。ユダヤ教において非ユダヤ人にはノアの法が適用されると考えますが、同時にユダヤ教においては世界各地域の伝統と社会標準を尊重すべしという倫理があり、そして自由意思があってこその善悪であるという考えのため、ノアの法を守った生き方をするかどうかは完全に自主性に任されます。ラビがユダヤ教徒としてノアの法をよいもの考えてご紹介することはあっても、これを強制することはございません。(本記事執筆者としては、ノアの法は長い歴史と伝統に裏打ちされ、啓示というしっかりした基礎を持つ倫理体系として、よい参照点となると考えています。)
ユダヤ教は戒律という、生活の様々な面での行動規範と結びついた考え方です。文字情報だけからでは正しい姿を知ることはできません。ご興味のある方はご訪問をお問い合わせください。正しいユダヤ教の姿を知っていただくことで、皆様と良い友情を築けるとラビは考えております。
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